第10回 ロサンゼルス大会 1932年7月30日〜8月14日 実施競技種目数: 17競技117種目 参加国・選手数: 37ヶ国1333人 内日本選手131人 日本メダル獲得数:金7個、銀7個、銅4個の大活躍 ヨーロッパから遠隔地だったため、参加国・選手数が激減。男子は一ヶ所の選手村に宿泊、女子は豪華ホテルに。 大会期間を今までの2−3ヶ月から16日に短縮。以降2−3週間に。 陸上競技で初めて写真判定装置が登場。 アメリカ、ヘレン・マディソンが女子水泳で金メダル3個。 競泳・男子6種目中、5種目で日本選手が金メダル。三段跳びで南部忠平選手が優勝、日本が2連覇。 馬術・障害飛越個人で西竹一選手が優勝。 現地でバロン西と呼ばれた西選手はそれから約13年後の1945年、戦車第26連隊長として硫黄島に着任。上陸したアメリカ軍は日本軍の中にバロン西がいることを知り「バロン西、貴下はロサンゼルスで限りなき名誉を受けた。降伏は恥辱ではない。われわれは勇戦した貴下を尊敬をもって迎えるだろう」と呼びかけた。ロサンゼルスで優勝したときの愛馬ウラヌス号のたてがみを身につけて戦っていたといわれる西は出てこなかった。 第3回 レークプラシッド冬季大会 1932年2月4日〜13日 実施競技種目数: 4競技14種目 参加国・選手数: 17ヶ国252人、内日本選手17人(ジャンプの安達五郎の8位が日本選手の最高成績) |